0901kinkasan of 鈴鹿・美濃の山歩き

P1056160.JPG金華山

2009年1月5日(月) 晴れ  岐阜市 単独行

9:00 日野西駐車地 → 9:25 西山 → 10:15〜11:10 岐阜城天守閣付近 →
11:45 鷹巣山 → 12:20 日野西駐車地 



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民家の間にある通路。こんな所をひとりで歩くのはどう見ても怪しげだ。

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西山から金華山を見る。まだまだ遠い。

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すぐ間近から見上げる天守閣。なかなかの迫力。

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稲葉山城から尾張の国を望む。

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東坂登山道から天守閣を見る。岩壁の上に建っているようだ。

今年の初登りは岐阜、金華山へ行ってきた。

金華山は西側から2度ほど登った事がある。今回のルートは初めてだ。随分前から機会があれば歩いてみたいなあと思っていたがなかなか訪れる機会がなかった。

金華山と言えば戦国時代を代表する舞台。言わずと知れた斎藤道三、織田信長の居城,岐阜城(稲葉山城)の建つ所だ。

信長が稲葉山城に道三の孫にあたる斎藤龍興を攻めた時、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は地元の猟師に案内させ稲葉山の裏側から城に入り手柄を立てたという。その侵入したあたりを見てみたいなという思いで向かった。

登り口は「岐阜の山旅100コース」(吉川幸一著)に紹介されている日野から。しかし、この登り口が少しわかりずらかった。うろうろ探しまわったが結局記述通り「日野西四丁目三」の標識の付いた電柱近くにある民家の間の細い通路がそれだった。

こんな通路を歩くのは怪しげに映るだろうなと足早にそこを抜けると鉄塔巡視路の目印。これを辿っていけば金華山までの道に出るはずだ。

取り付きの尾根は岩のやせ尾根で小規模ながらなかなか雰囲気があった。前夜の酒が残る体ではヒヤヒヤするくらいだ。

わずかに登るとNo.42の鉄塔に出てそこからわずかに進んで左手に進路を取る。ゆるやかな稜線の道を進むと176mのパネルのある西山に着く。ここからは金華山がまだ遠く見える。

西山から尾根を一気に下る。下った所からはわずかに起伏があるが概ね歩きやすいプロムナードだ。静かで気持ちいい。

やがて右手下に長良川の流れが見えてくる。こうして俯瞰してみると大きな川だという事がわかる。戦国期にはもっと北の方を流れていたらしいがその頃の風景はどんなだったのだろう。

緩やかに登り始めると岩場に出る。そこからは真白に染まった能郷白山が見える。

しばらく写真を撮って過ごしていると逹目洞から登ってきたという男性と女性が追いついてきた。しばらく話しながら歩いたが日頃から金華山を登っているのだろう、足取りに迷いがなかった。

しばらく登ると瞑想の小径と出合いそこからわずかで天守閣の建つ広場に出る。間近に天守閣が迫って迫力がある。

流石に観光化されているスポットだ。月曜日だというのにかなりの人が訪れている。その格好もいろいろだが街中を歩く姿のままできている人が多い。

落ち着ける場所がないかとうろうろしたが綱の張られた天守閣の西側が静かで眺めが良かった。ここでプシュー。短い歩きだがこれはこれで楽しい。

下山は金華山三角点に立ち寄ってから東坂登山道を下った。こちらから天守閣を振り返ると岩壁の上に建っているように見える。秋ならば見応えがあるのではないか。

恐らく木下藤吉郎は今見ている方から城に侵入したんだろうな。実際にどういうルートをとったのかわからないが案内をさせたのだからよっぽどの所を通っていったのだろう。ひょっとしたら岩壁の一枚ぐらいは登ったのかもしれない。

登山道を下ると鞍部に出る。整理された登山道はそこから左右に分かれるがまっすぐ進んで反対の山腹に取り付き鷹巣山に向かった。

やっと山歩きらしい雰囲気の道が現れた。その道は山腹を一気に突き上げてピークに達する。なかなかいい感じの道だ。

たどり着いた鷹巣山山頂からは南に広がる平野が一望できる。その中に木曽川の太い流れが蛇行している。信長はあの流れを渡って美濃に侵入してきたのだ。そう思うと一瞬なんだかタイムスリップしたような不思議な感覚に包まれた。

この鷹巣山は南側から見ると大きな岩肌が印象的だ。そちら側からのアプローチもできそうな雰囲気なのでいつか歩いてみよう。

後は尾根伝いに開かれた道を忠実に下っていく。高さもなければ距離もない山歩きだったが初登りとしてはなかなか楽しいものとなった。

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